『心の裏側』
(2010.08.21)
歌を作る人たちで
話をしていたりしますと
『どのように歌を作るのか!?』というような
製作過程の話になったりすることが
時々あります
にわとりが先か 卵が先か
というような感じで
『歌詞が先か 曲が先か』
あるいは
『歌詞が先であるべきか』 『曲が先であるべきか』
などなど話が広がってゆくことも多く
その手の話は
はじまると尽きることがなく
また答えもなかったりするのですが・・・(^^;)
ところが先日
ふとテレビをみていたら
北山 修さんという方が
そのようなやりとりに対する
ひとつの個人的な答えのようなものを
言っていたので
ちょっと書いておきたくなりました
歌作りをする人には
興味深い話ではないか・・・と思います
北山 修さん
この方は
かつて
『戦争を知らない子供たち』や
『あの素晴らしい愛をもう一度』
という大ヒット曲の作詞をした方で
さらに遡れば
〜♪オラは死んじまっただ♪〜の
『帰ってきた酔っ払い』の
ザ・フォーク・クルセダーズの一員だった有名人です
ミュージシャン、作詞家として活躍し
当時の若者達の間では
知的リーダーのような存在でもあったらしい北山さんですが
1970年代の前半頃くらいからでしょうか?
だんだんテレビから離れていかれました
あのまま
ずっとテレビ出演を続けていたら
筑紫哲也とかと似たような存在になっていた方かもしれないなあと
その番組をみていてふと感じました
北山さんは
テレビを離れてからは
心理学者、精神科医として活動し
九州大学で教授になられ
今年2010年の3月に
九州大学教授の職を退官されたとのことでした
自分が先日
たまたま観たテレビ番組というのは
退官する北山さんの九州大学での最終講義を
録画・放送したもので
(北山修 最後の授業:http://www.msz.co.jp/news/topics/07543.html)
そこで
御自身が なぜ あの時 テレビから離れていったのか
ということや
心理学における心の裏側と歌との関係のようなものを
作詞家であり心理学者である立場から
語っている場面があったので
それを今日は少し書いてみたいと思います
まず
なぜテレビから離れていったのか・・・
についてですが
それは
『テレビよりも心理学のほうが
圧倒的におもしろいとおもったから』
だそうです
テレビは
出演する個人とそれを観る不特定多数の人間の関係であり
それに対して
心理学は
精神科医である自分と患者の1:1の人間関係です
精神科医は
1:1で患者と向き合い
精神を病んだ患者から
その心の裏側の部分を
その患者の本音を
ききだし
そこから治療がはじまるようなのですが
患者が
自分の心の裏側を告白するためには
1:1の関係であることがまず必要であり
そして
『ここだけの話』
という約束ができあがって
はじめて心というものは開かれ
心の裏側が語られはじめるようです
心には表と裏があって
テレビは心の表側を扱うものであり
それに対し
心理学者、精神科医は
心の裏側を扱うものであるとも
言っていました
精神科医を訪れる患者でなくとも
自分の心の内側、心の裏側を語るには
やはりそれと同じ状況、環境が必要であるはずで
北山さんは
不特定多数の人間を相手にするテレビ等のマスメディアでは
ここだけの話、、、というわけにはいかないことから
心の裏側
つまり本音は語れない
と決断したようです
そして
本音でぶつかりあえる
精神科医と患者という1:1の世界のほうに
自分は遥かに魅力を感じ
自分はそういう道を選び取り
テレビから離れていったのだ、、、と説明していました
それに精神科医である自分がテレビにでたら
患者さんは自分のことを話すかもしれないと不安に思うから
テレビにはでないことにしたとも語っていました
また、テレビというのは映像があり
それが想像力を奪ってしまう、、、という話もありました
たとえば大空の散らばる星に
かつての古代人は星の繋がりから
星座をみたわけですが
あれはものすごい想像力で
とてもすばらしい力ではないか、、、と・・・
しかし星座もあれは○○座と言われてしまうと
もうあの星の連なりは○○座にしかみえなくなってしまい
そこで想像力は完全に消滅しまう
テレビも映像であるため すべてが一気にみえてしまうため
人々から想像力を奪ってしまうので
それを危惧しているとも言ってました
さらに、昔は
テレビ番組は歌番組が多かったけれど
最近のテレビ番組ではお笑い番組が多くなっており
これについては
お笑い番組というのは
「心の裏側をドサクサに紛れて表出させるシステムだ」と言っていたのも
興味深かったです
最近のお笑い番組をみていると
心の裏側というより
内輪ネタで勝手にもりあがっている部分が多く
裏側をだすという新しい試みで
視聴者の気をひこうとしているのでしょうが
テレビを観ているほうからすると
それは知らない他人同士の秘密の暴きあいに過ぎず
実は面白くもなんともない、、、
というのがほんとではないかと思います
本来
心の表側しか表現できないテレビという媒体が息詰まり
たどりついたのが
心の裏側を辛うじて垣間見せるお笑いだとすると
人々の関心や人々が求めているものというのは
あたりまえかもしれないけれど
やはり
心の裏側というか
つまりは本音の部分ということになるのだと思います
そして
歌というものも
やはり心の裏側を
心のなかの本音を
描いたものでなければ
少なくとも
歌を作る側としてはつまらない
というようなことを
北山さんは言っていたように記憶しています
歌番組が廃れてしまったのは
以前は心の裏側を唄った歌があったのに
それがなくなり
心の表側を唄った歌ばかりが
あふれてきたからかもしれません
番組のなかで
作家の重松清さんとの対談シーンもあり
そこで
歌詞が先にあるべきなのか
曲が先にあるべきなのか
といったような話になり
北山さんは
『唄いながら 作られない歌はありえない』と言っていました
対談中に妻を亡くしたある作家の話に及び
その作家は
「妻を亡くした悲しみはエッセイでは書けないが
短歌であれば書くことができる」
と言ったそうですが
これは
五・七・五・七・七
という定型の中でのほうが
素直に自分の気持ちを表現できるからだと
北山さんは説明し
定型という受け皿がないと
人は本音を語ることができないからだと言ってました
精神科医を訪れた患者の心情と同じだというんです
精神科医を訪れた患者は
「ここだけの話」というシステムが
受け皿となり
安心して 心の裏側を さらけだすことができるのであり
歌を作るときもそれと同じで
メロディーという受け皿があって
はじめて心の裏側をさらけだした本音の言葉というものが
生まれてくるのではないか、、、と言ってました
ここで「歌詞」と「歌詩」についても話が及び
「歌詞」というのは
メロディーがない状態で書かれた
誰かに読まれることを前提とした言葉であり
それに対して「歌詩」のほうは
メロディーとともに あるいは メロディーにのせるように
紡ぎだされた心の裏側にある本音の言葉ではないか、、、というコメントがありました
「歌詞」と「歌詩」
どちらが良いとかそういう話ではなかったと思うし
実際
どちらが良いのかなんて
それもまた答えのないことです
ただ北山さんの話は
「心の裏側」 つまりは 「自分の本音」を
歌として
自分の中から
言葉にする時には とても参考になるな、、、
と感じました
メロディーのないまま
自分の気持ちを言葉にするのは
やはりとても難しいと思うからです
きっちり字数を決めるなどして
自分なりの定型の元に書けば
それも短歌のように
『歌詞』ではなく『歌詩』に
なる可能性はあると思います
要は
自分の本音をさらけだしたかったら
誰かの目を気にしたり
誰かを意識して
言葉を紡いでも
本音の言葉はでてこない、、、
ということなのでしょう
たとえば
この歌で一発当ててやろう!とか
そんな意識や野心で書かれた歌があったら
そんな歌は間違いなく深い部分で
人の心を掴むなんてことは
できないでしょう(^^)
歌というものは目の前の相手だったり
特定の誰かに対して書かれたもの以外は
ありえないのではないか、、、という話もありました
不特定多数を相手にして
本当の気持ちなんて語れない!
心の裏側なんて唄えないのではないか、、、と
ある特定の人や人たちに対して作った歌が
結果として
多くの人の共感を呼ぶということはあるでしょうが
最初から 不特定多数の人を意識して作った歌が
人々の共感を呼ぶことはないだろう・・・ということでした
精神科医の立場から
人間が
自分の心の裏側をさらけだすということが
いかに難しいか、、、ということを
北山さんは
患者さんとの対話というこれまでの経験を通して
嫌というほど
思い知ったのではないかと思います
そして
今回の歌作りに関する話は
作詞家という立場から
自分も含めて
歌を作るひとたちに
心の裏側を言葉にするための
方法論のひとつになるかもしれない方法を
教えてくれたのではないか、、、と思います
歌作りをする自分にとっては
とても説得力のある話でした
いろんな歌があります
個人的な心の裏側を唄った歌ばかりが
よいわけでも
もちろんありません
浪漫や愛や夢を唄った歌があってもよいし
メッセージ性の強い歌があっても
当然いいはずで
メロディーを前提としない『歌詞』から
歌作りがはじまっても
もちろん良いのです
ただ
どこかに
心の裏側を唄った
本音を唄った
そういう歌を求めている人が
いつの時代もいるとおもうし
そういう歌が必要な時が
誰にもあるのではないか、、、
と自分は思います
プロでもない自分が趣味とはいえ
歌作りをしていくことに
もしも何らかの意味のようなものがあるとすれば
そういう歌を作り
唄い続けていくことだと思うので
今回の北山さんのお話を参考にして
これからも歌を作り
唄っていきたいと思いました
自分の歌への
共感を求める気持ちもなければ
押し売りをする気持ちも
もちろん全くありません
インターネットがなくなって
誰もきいてくれるひとが
ひとりもいなくなっても
自分は趣味として
ずっと歌作りを続けていくような気がします
結局
自分にとって歌作りというのは
心の裏側を吐き出す
自分なりの
ストレス解消法のひとつ、、、
ストレス解消法のひとつにすぎない、、、
のかもしれません・・・(^^;)
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